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2007年11月26日

軍旗について

軍旗の扱いとはどのようだったのでしょうか。

意外と知らない真実が見えてきました。

軍旗は天皇から親授されたものであり、天皇の分身であると認識され、たいへん丁重に扱われた。天皇から親授された極めて神聖なもので、軍をあらわす旗という意味以上の存在とされた。軍旗の物品管理上の扱いは「兵器」であった。 ちなみに陸上自衛隊では勿論「武器」ではない。

最初に軍旗を親授される際は、「軍旗親授の儀」(皇室儀制令(大正15年10月21日皇室令))により、正装・大礼服着用の上、諸式にのっとり宮中にてとりおこなわれた。

連隊旗手は、新任の少尉、稀に中尉が勤める。旗手の要件は長身、眉目秀麗・成績優秀であることが求められ、また暗黙の要件として童貞で、悪所通いをしない高潔な人物が選ばれた、軍旗には誘導将校や軍旗衛兵が付され、また戦場では軍旗を守護するために1個中隊が編成された。軍旗に対しては、天皇に対するのと同様の敬礼が行われた。日本陸軍においても、他国の陸軍と同様又はそれ以上に軍旗が神聖視され、軍旗を喪失することは極めて重大な失態と考えらた。軍旗奪還のために無謀な作戦を行い却って部隊が全滅に近い損害を受けるなど本末転倒ともいうべき事態も発生した。

また、完全に失われない限り、新しく下賜されることはなかったため、歴史の古い連隊になると日清戦争、日露戦争、第一次世界大戦などを経てぼろぼろになり、かろうじて房だけ残っているという連隊もあったという。一般に、ぼろぼろの連隊旗があることは、その連隊が激戦を戦い抜いてきた象徴として、名誉とされた。ただし、古い軍旗がぼろぼろになったのは、敵弾のためでもあるが、厳重に包んで丁重に仕舞いこんでいたために、かえって絹布製の旗が劣化し、強度的に強い房のみが残る結果となってしまったとも言われる。

終戦時、各連隊に奉焼命令(丁重に焼く)が出され、ほぼ全てが焼失した。これは、降伏して武装解除を受ける際に天皇の分身である軍旗を敵の手に渡すことを避けたためと見られている。但し、歩兵第321連隊においては、連隊長の後藤四郎陸軍中佐が旗竿のみを収めた軍旗箱を奉焼し、旗と菊花紋章とを神道天行居という団体の施設に隠したために現存している。これは靖国神社の遊就館に展示されている。

引用『ウィキペディア(Wikipedia)』
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